振り返りと言いつつ、2020年ブログ書いていなかったということに気づきました。せっかくなので2020年にも一つくらいはと振り返ってみたいと思います。
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2020年全体はパンデミックの年
私自身も2020年末のミーティングやイベントでも振り返りを行ったり、振り返りをする他の方の話を聞いたりしましたが、今年2020年に関しては新型コロナウイルス感染症の世界的流行を挙げない人はいないくらい大きな出来事でした。2001年のアメリカ同時多発テロ事件、2011年の東日本大震災に続く、後世の歴史の教科書に確実に記載されるであろう出来事です。
このあとの節の振り返りにも、だいたい新型コロナ話が入ってきます。
ほとんど遠出できなかった
年が明けて2020年になった頃、中国で何やら病気が流行っているという話はありましたが、当初はSARSのときのような局所的な出来事になると思っていました。他の皆さんも2020年1月の頃はそうだったと思います。しかし感染が世界に飛び火したことはご存知の通り。
2015年以降、東京に疲れたタイミングで数ヶ月に一度は京都に行って命の洗濯をしていたのですが、今年は正月明け1月の成人の日を含んだ3連休に行った1回きりとなってしまいました。おかしいなぁ、毎年だいたい4回前後は行くはずなのに…。今年は京都成分が圧倒的に足りない。
飲み会 (@ 喜楽 in 京都市, 京都府 w/ @azumakuniyuki) https://t.co/xXxe437Vuo pic.twitter.com/u257Kahggk
— OGATA Tetsuji (@xtetsuji) January 12, 2020
今朝も菊香荘で朝食です。こうやって美味しくしっかりした朝食を穏やかに食べる時間は、少なくとも数ヶ月に一度は持ちたいもの。 pic.twitter.com/bTRYNAzB8J
— OGATA Tetsuji (@xtetsuji) January 13, 2020
3月に行く予定だった YAPC::Kyoto も延期となってしまったし、イベント系もことごとく巻き込まれました。それについては後述。
2020年年越し以外にも、2019年の故人タスク関連で3月に実家に戻ったのですが、その後は戻れず。正確に言うと、実際に訪問を求められていた6月予定タスクも、相手側から「郵送書面だけで大丈夫です」となったりする有様でした。ちょうど春から夏にかけて感染者が増大していた北海道(といっても札幌市中心部に集中しているのですが)の危機感も加味したものでしょう。
3月に羽田空港から搭乗した飛行機も閑散としたものでした。個人的な旅行といった嗜好なら自分も移動していなかった世情でしたし、当然ですね。
しかし今日の行程、全然人がいなかった。空港連絡バスは貸切状態(乗客自分1人)、羽田空港は閑散、飛行機は着席後に視界に入る60席ほどの席に座っている人は5人程度という状態。
— OGATA Tetsuji (@xtetsuji) March 7, 2020
北海道では、2月上旬の春節からの中国人観光客の流入を止めなかったこと、雪まつりシーズンで街全体が屋内も含めてどこも密集していたことに加えて気密性の高い建造物であったことも初期の爆発的感染につながったようです。1月から2月にかけては情報もあまりなかったわけですから、対策を取るのも難しかったとは思います。
3月下旬以降は緊急事態宣言によって東京の企業も軒並みリモートワーク全振り。もともとリモートワーク文化のあった私の所属企業でしたが、みんなオフィスに来て顔を合わせたほうがいい、現地にある物理的な機械類を相手にする必要がある私の所属部署の人達も、さすがに原則リモートワークとなりました。オフィスにすら行きづらくなった。
そして2020年の年末に帰省すらできなくなったのは痛い。東京は不浄の土地まっしぐら。不浄の土地に住む人間はいくら清浄を心がけていても不安がられるもの。帰省しても親戚に会うどころか友人知人を呼んでパーティすらできず、結実家自室にこもってゲームをするだけになるでしょう。帰省で往復4万円払って実家自室にこもってゲームをするだけだったら、寂しいという唯一と言っていい問題を我慢して東京自宅に一人で年末年始過ごしたほうがいいなという結論になりました。
イベントは苦難の判断の連続、そして動画配信への切り替わり
先述の通りですが、2020年3月開催予定だった YAPC::Kyoto 2020 が開催延期、国内テックカンファレンスも2月17日頃を境に通常開催ができなくなるということになりました。これは有志が更新しているコロナウイルスに関する国内テックカンファレンスの開催状況 2020 年版が詳しいです。私は運営に関わっていないですが、技術書典8が中止になったことは参加側(というか買いに行く側)として衝撃的かつ印象的でした。
ここからは私が関わっているイベントについて振り返ってみたいと思います。
Perl入学式
2013年頃からPerl入学式の活動で月1回程度のイベントを開催していましたが、今年は1月の秋開講第3回と2月の秋開講第4回の開催はできたものの、3月の秋開講第5回最終回は開催できずに終わってしまいました。
私も含め、Perl入学式のサポーター(運営スタッフ)の中でも楽観論が結構あって、「夏には暑くなって風邪同様感染者数は抑えられるので、4月からの春開講は中止、10月の秋開講から再開しよう」という目論見もありました。とはいえ雲行きが怪しいぞと。
あと毎月1回集まっていたサポーターがしばらく集まれないということで、コミュニティの歩みを止めないためにも、5月連休明けからオンラインでミーティングを重ねることに。結果的にこれが10月以降のオンライン開催に大きく貢献しました。
従来の受講生を会場に集めて開催するオフライン開催はできないと判断したあとは、オンライン開催をどうするかで毎週末検討していました。春頃からオフライン開催ができなくなったITエンジニア系イベントがオンライン開催をした事例は散見されましたが、登壇者が聴講者に語りかける一方向的なイベントでした。Perl入学式では受講生の環境構築を手伝ったり、受講生の質問に答えたりする場面がそこそこあって、この部分をどう双方向性をもたせてオンライン化するかで悩んでいました。
8月9月10月と月1回リハーサルを開催して、これならいけるという品質になったことで、10月17日のオンライン第1回の開催を行うことができました。そこから11月12月と月1回のペースでオンライン開講ができています。
この辺の苦労は、9月開催の BIT VALLEY 2020 や12月開催の #勉強会振り返り でオンライン登壇したときに語ったりもしているので、もし興味ありましたらそちらの動画等を御覧ください。スライド資料は2020年12月現在公開していないのですが、怠惰なだけで後日アップロード予定です。また2020年度の講義が一通り終わるタイミングあたりでブログ記事で振り返ってみたいと思います。
GaiaxTech
所属企業つながりで、2016年12月から月1回ペースでイベントを開いていましたが、これも当然ながら影響を受けました。
1月にテレビゲームを使った遊びイベントを開催したのですが、2月は悩んだ末に既に公開していたイベントを中止、雲行きがどんどん怪しくなる中でもイベントをやりたいということで、3月は登壇者のみ現地に呼んで聴講者はオンライン視聴というスタイルのイベントを開催して、以降オンラインイベントに全面的に舵を切った一年でした。
オンラインミーティングの習慣が日本全体に浸透した7月以降は、登壇者も自宅等からリモート参加してもらい、運営スタッフも原則各自自宅からの参加となりました。当日の配信機材のセットアップは不要になりましたが、登壇者や聴講者へ必要な連絡等も増えたりと、前日までの運営側の各種作業はむしろ大変になった一年でした。
8月イベント #ITエンジニア会談 以降は、動画配信に熟達している @godan09 君に入ってもらい、本当に助けられただけでなく、クオリティも格段に上がりました。そして以前から計画していたPerl入学式オンライン開催の配信面も全面的に協力してくれることに……。今年一番お世話になった方と言っても過言ではありません。
Japan.pm 2021 やります!
毎年1〜2回のペースで YAPC::Japan を開催している Japan Perl Association ですが、前述の YAPC::Kyoto 2020 延期の憂き目に遭い、かつ新たな開催日程も立てられない状況です。
オフラインイベントができないのであればオンライン!とはいえ YAPC::Japan は全国のPerlプログラマが開催会場に一堂に会するという意味合いを強く感じます。また特定の地域名がついた各種テック系イベントやコミュニティが2020年のオンライン開催を期に運営側も聴講側も特定の地域に縛られなくなるという興味深い現象も発生しました。
であれば地域名に日本を入れて、地域.pm のような形を提唱したら面白いのではないかという話になり、Japan.pm 2021 を2021年2月18日と19日に開催することになりました。参加しやすいよう2日間に渡って2夜開催となっています。
私も Japan Perl Association に参加している流れで、Japan.pm 2021 のお手伝いをしています。皆さん、ぜひご参加ください!
アウトプットは低調
2020年は上述の通り余裕が無かったというのは言い訳でしかないですが、2020年のアウトプットは全体的に低調でした。
何しろブログを全然更新しなかった。最後の更新は2019年にWEB+DB PRESSに寄稿したときの話。
その他の要因(言い訳)としては、WordPress の Gutenberg が個人的にとても使いづらいということがありそう。新しいものには慣れていくというスタンスではあるのですが、過去の記事との親和性とか考えると色々不安になったり、今までのプラグインが使えなくなったりと、個人的にはつらいものでした。なんか Gutenberg になれることが「新しいものには慣れていく」ということへの間接的な目的になってしまって良くないなぁと年末に感じていたので、この辺りの対応は後日振り返ってみたいと思います。なお2020年12月31日初稿時は Gutenberg 上で頑張って書いていますが合わない。
Qiita には記事5本(うち2本は Advent Calendar)を書いていますが、数としても低調と言えるでしょう。理想は月1記事くらい。自分はバズ狙いで書かない方ではあるのですが、閲覧数的に見ても低調と言えそう。
とはいえ2019年は2記事だったわけで、5記事は多いのかな。2019年は 「ループ・再帰・gotoを使わず1から100までの数値を印字する」Conner Davis 氏の回答の考察 反響があった楽しさが大きかったのかも。反響はなかったですが、数学ブログの方で すごろくでゴールするために必要なサイコロを振る回数の平均値 をまとめたのも2019年でした(ただし年末)。
すごろく平均値を母関数で求めるのは個人的にとても楽しかったのですが、こういう楽しい数学活動をあまりできなかったのも2020年でした。自宅時間はたっぷりあったはずなのに。とはいえ仕事環境を作ろうと部屋の片付けが進んだこと、仕事環境として机と椅子そして Type-C 接続 27インチディスプレイが導入されてオフィスよりデスクワークがしやすくなったことは良かったです。
他にも色々あった気はしますが、年明けが近いのでこの辺りで。後日また追加するかもしれません。追加したら Twitter @xtetsuji でお知らせします。
2021年の抱負とかは、また2021年の年始に書きます。2021年は気軽にブログを書いていってアウトプットを充実させて行く所存です。ご期待ください。